1. はじめに – 外国人雇用の現場で直面する「当たり前」の壁

グローバル化の波が押し寄せる現代の日本において、労働市場の風景は目覚ましい変化を遂げています。以前は、文化的な背景が似た人が多かった日本の職場にも、グローバル化の波が押し寄せ、多様な国籍や文化的背景を持つ人々が加わり、共に働くことが当たり前の光景となりつつあります。今後の深刻な人手不足の時代に、外国人スタッフの存在は、他社との差別化や生き残りのために、かけがえのない財産(人財)です。

しかしながら、異なる文化を持つ人々が一つの職場で協働する際には、時に予期せぬ、そして根深い課題が表面化することがあります。それは、言語の壁といった明確な問題だけでなく、より捉えにくい、私たちの無意識の領域に潜む「当たり前」の認識の違いから生じることが少なくありません。

長年にわたり、日本の社会や職場で育まれてきた独自の慣習や価値観は、私たち日本人にとっては空気のように自然なものです。阿吽の呼吸、相手の意を汲むといったコミュニケーションスタイル、時間に対する厳格な意識、仕事の進め方における暗黙の了解など、枚挙にいとまがありません。

しかし、これらの「当たり前」は、異文化を持つ外国人スタッフにとっては、時に理解を超えた、あるいは全く異なる前提に基づいていることがあります。何気ない一言、日常的な業務の進め方、同僚とのコミュニケーションの取り方一つ 取っても、文化的な背景が異なれば、解釈や受け止め方が大きく異なる可能性があるのです。

例えば、会議の場での発言の仕方、上司への報告のタイミング、休憩時間の過ごし方、同僚との距離感など、私たちにとっては特に意識することのない行動が、外国人スタッフにとっては大きな戸惑いや誤解の種となりかねません。

本連載では、外国人雇用の現場において、私たち日本人が無意識に持つ「当たり前」の認識が、どのように外国人スタッフとの間にコミュニケーションの壁や業務上の摩擦を生み出してしまうのか、その具体的なメカニズムと背景にある異文化の視点を探求していきます。

今回は、まず、私たちが当たり前だと信じていることが、いかに外国人スタッフとの間に予期せぬズレを生じさせる可能性があるのか、その最初の入り口を共に見ていきましょう。

2. 「空気を読む」文化の落とし穴

日本の職場環境において、円滑な人間関係や効率的な業務遂行のために、しばしば重視される能力、それが「空気を読む」ということです。これは、明示的な言葉だけでなく、表情、声のトーン、場の雰囲気など、非言語的なサインから相手の意図や感情を察知し、適切な言動をとることを意味します。長らく、比較的均一な社会で育ってきた私たち日本人にとっては、共通の文化的背景や価値観を共有している部分が大きいため、「言わなくてもわかる」「察して当然」といった、コミュニケーションが成立しやすい土壌がありました。

しかし、この「空気を読む」という、ある意味で高度なコミュニケーションスキルは、異文化を持つ外国人スタッフにとっては、極めて理解が難しく、時に大きな壁となることがあります。なぜなら、「空気」を読むためには、その場に共有されている歴史的背景、文化的慣習、社会的な規範などを深く理解している必要があるからです。異なる文化的背景を持つ人々が集う職場においては、それぞれの「当たり前」が異なるため、「空気」は決して一様ではなく、むしろ多様な解釈が生まれうるのです。

例えば、会議の場での微妙な沈黙。日本人同士であれば、「何か意見をまとめているのだろうか」「発言を控えているのかもしれない」「同意しているサインかもしれない」など、様々な可能性を推測することができます。しかし、文化的背景が異なる外国人スタッフにとっては、単に「誰も何も言わない」「議論が進んでいない」という状況にしか見えないかもしれません。その結果、発言すべきタイミングを見誤ったり、意図せず場にそぐわない発言をしてしまったりする可能性があります。

また、上司や先輩が具体的な指示や説明を省き、「これくらいのことは自分で考えてわかるだろう」という態度で業務を任せるケースも、外国人スタッフを深く戸惑わせます。曖昧な指示や、その指示の背後にある意図や期待が明確に伝わらない場合、彼らはどのように業務を進めて良いのか、途方に暮れてしまうでしょう。「以心伝心」のようなコミュニケーションは、言葉を介さない親密さを生む一方で、文化的な共通基盤を持たない相手には、全く通用しないばかりか、不親切で不透明なものとして認識される危険性があります。

「空気を読む」という、ある意味曖昧で主観的なコミュニケーションスタイルは、外国人スタッフに過度なストレスを与え、業務の効率を低下させるだけでなく、職場における孤立感や不信感を増幅させる要因にもなりかねません。明確な言葉によるコミュニケーションの不足は、誤解を生み、結果としてチームワークを損なう可能性すら孕んでいます。

3. 暗黙の了解 vs 明文化のルール

前項で触れた、日本社会に深く根ざす「空気を読む」というコミュニケーション様式は、職場において数多くの「暗黙の了解」を生み出す温床となります。「特に言葉にはされないけれど、皆がなんとなく理解し、従っている」という、いわば職場のローカルルールや慣習です。これらは、長年同じような文化的背景を持つ人々が働く環境においては、ある程度の効率性や一体感を生み出すかもしれませんが、異文化を持つ外国人スタッフにとっては、まるで解読不能なパズルのようなものです。

なぜなら、彼らはその職場で長年培われてきた共通の認識や価値観、歴史的背景を共有していないため、「暗黙の了解」が何を意味するのか、どのように行動すべきかの手がかりをほとんど持たないからです。育ってきた文化、教育、社会規範が異なれば、「当たり前」の基準そのものが大きく異なるため、日本人同士であればスムーズに事が運ぶ場面でも、外国人スタッフは迷路に迷い込んだように立ち往生してしまう可能性があります。

具体的な例を挙げれば、休憩時間の取得方法一つをとっても、「忙しい時間帯は、お互いに声をかけ合って時間をずらすのが普通だ」「〇〇部長がまだ休憩を取っていないから、新人の自分は遠慮すべきだ」といった、就業規則には明記されていないけれど、多くの従業員が共有している認識が存在することがあります。外国人スタッフが、就業規則に記載された通りの時間に休憩を取ろうとすると、周囲の「暗黙の了解」に反してしまい、「協調性がない」「自己中心的だ」といった誤解を生む可能性があります。

また、業務の進め方においても、「この手の書類は、正式なルートを通す前に、必ず△△課長に目を通してもらうのが慣例だ」「このプロジェクトに関する情報は、公式な会議以外では口外しないのがルールだ」といった、文書化されていない申し合わせ事項が存在することがあります。外国人スタッフが、これらの「暗黙の了解」を知らずに業務を進めてしまうと、意図せず関係者に迷惑をかけたり、業務のプロセスを滞らせたりする可能性があります。

このように、「暗黙の了解」は、それを共有するコミュニティ内では効率的に機能する側面がある一方で、外部から来た者、特に異文化を持つ外国人スタッフにとっては、排除的で不透明、そして不公平に感じられることが多いのです。言葉にされないルールは、彼らにとって職場で孤立感を深め、エンゲージメントを低下させる要因となりかねません。

さらに、「暗黙の了解」は、解釈の余地を残すため、人によって理解が異なる可能性もあります。これは、日本人同士の間でも誤解を生むことがありますが、文化的な背景が異なる外国人スタッフとの間では、そのリスクがさらに高まります。例えば、「皆が忙しそうだから、今日は残業するのが当たり前だろう」という暗黙の了解があったとしても、外国人スタッフの文化では、決められた時間内に効率的に業務を終えることが重視されるかもしれません。その結果、彼らが定時で退社しようとすると、「協調性がない」とみなされる可能性があります。

だからこそ、外国人雇用の現場においては、「暗黙の了解」という曖昧なものに依存するのではなく、誰にでも理解できる明確な言葉や文書で示されたルール、すなわち就業規則やルールブックの整備と適切な共有が、極めて重要な意味を持つことになるのです。就業規則は、文化や言語の壁を超え、共通の理解を築くための基盤となるべきです。

4. 【ケーススタディ】もし、ルールが曖昧だったら…

ここからは、もし職場のルールが曖昧であった場合、外国人スタッフとの間で実際にどのような誤解やトラブルが生じうるのか、具体的なケーススタディを通して見ていきましょう。

ケース1:遅刻に対する認識のずれ

例えば、就業規則に「始業時刻に遅刻した場合は、給与から控除する」とだけ記載されていたとします。日本人スタッフであれば、「2,3分の遅刻はでも許されない」「もっと遅れそうなら連絡して謝る」といった共通認識があるかもしれません。しかし、外国人スタッフの中には、「2、3分の遅れは問題ない」「むしろ、誤れば、自分の不利益になる」と平然と出勤してきたり、「公共交通機関の遅延証明があれば問題ない、私は悪くない」と考える人もいるかもしれません。ルールが曖昧なために、遅刻の許容範囲や報告の義務の認識にずれが生じ、評価への不満や不信感につながる可能性があります。

ケース2:休憩時間の取り方の違い

就業規則に「休憩時間は〇分」とだけ定められている場合、日本人スタッフは「忙しい時は、声を掛け合って交代で取る」「状況を見て、多少時間をずらすのもあり得る」といった暗黙の了解を持っているかもしれません。しかし、外国人スタッフは、時刻どうりに休憩を取ろうとするかもしれませんし、文化によっては逆に「自分の好きなタイミングで休憩するが効率的だ」と考える人もいます。ルールが不明確なために、休憩の取り方を巡って周囲との摩擦が生じたり、「ルールを守らない」と誤解されたりする可能性があります。

ケース3:業務報告のタイミングと内容

「適宜、業務の進捗を報告すること」という指示だけでは、いつ、どのような形式で、どこまで詳細に報告すべきか、外国人スタッフは迷ってしまうでしょう。日本人スタッフであれば、「キリの良いタイミングで口頭で簡単に」「重要な問題があればすぐに」といった共通認識があるかもしれませんが、文化が違えば「これくらは報告しないていい」とか「日報のような書面で詳しく報告するのは面倒」と考える人もいます。「日本人の常識的な報連相の意識」とのずれは、情報共有の遅れや認識の齟齬を生み、クレームや業務の非効率につながる可能性があります。

これらのケーススタディからわかるように、ルールが曖昧なままだと、それぞれの文化的背景や解釈に基づいて行動するため、予期せぬ誤解や摩擦が生じやすくなります。明確なルールと、それに基づいた一貫性のある対応こそが、外国人スタッフが安心して働くための基盤となるのです。

5. “ルールを説明する責任”は会社側にある

これまでの議論を通じて、文化的な背景の差異や、日本特有の「暗黙の了解」が、外国人スタッフとの間で様々な誤解や業務上の摩擦を生み出す可能性があることを確認してきました。これらの課題に対処し、外国人スタッフが安心して活躍できる環境を整備するために、最も重要な認識の一つが、「就業に関するルールを明確に伝え、理解を促す責任は、雇用する会社側にある」ということです。

単に就業規則を渡して「読んでおいてください」という姿勢では、異文化を持つ外国人スタッフに対しては全く不十分と言わざるを得ません。特に、日本語の習熟度が十分でないスタッフや、日本の職場文化にまだ慣れていないスタッフに対しては、会社側が主体的に、そして丁寧にルールの内容を伝え、彼らがしっかりと理解できるまでサポートする義務があります。もし日本語能力がN4レベルなら、小学生2年生の子が理解できるだろうか?と分かりやすい表現を意識することも大切です。

「伝えたつもり」という一方的な認識で終わらせてはいけません。言葉による説明だけでは、ニュアンスや背景にある意図が正確に伝わらない可能性があります。言語の壁はもちろんのこと、文化的な解釈の違いによって、同じ言葉でも受け止め方が異なることがあるからです。そのため、ルールを伝える際には、多様なコミュニケーション手段を活用し、相手が本当に理解しているかを確認するプロセスが不可欠です。

具体的には、口頭での説明に加えて、図やイラストを用いた視覚的な資料の活用、多言語対応された説明書の準備、そして理解度を確認するための質疑応答の時間を設けるなどが考えられます。また、難しい専門用語や曖昧な表現は避け、平易な言葉で説明する工夫も重要です。

さらに、ルールの説明は一度きりでは終わりません。新しいルールが導入された場合や、既存のルールの解釈に変更があった場合には、速やかに、そして丁寧に外国人スタッフに周知する必要があります。ルールの変更が適切に伝わらないと、混乱を招き、不信感につながる可能性もあります。

外国人スタッフが安心して業務に取り組むためには、会社側からの積極的かつ継続的な情報提供と、彼らの理解をサポートしようとする真摯な姿勢が不可欠です。ルールを明確に伝え、疑問に答えることで、外国人スタッフは安心して働くことができ、その能力を最大限に発揮してくれるはずです。

6. まとめ – 異文化理解とルール明確化への第一歩

今回の記事では、外国人雇用の現場において、私たちが無意識に抱く「当たり前」の認識が、異文化を持つ外国人スタッフとの間に予期せぬズレを生み出す可能性について見てきました。

「空気を読む」という日本的なコミュニケーションスタイルは、文化的背景を共有しない相手には伝わりにくく、誤解の原因となり得ます。また、明文化されていない「暗黙の了解」は、外国人スタッフを戸惑わせ、孤立感を招くことがあります。

曖昧なルールの下では、遅刻、休憩、業務報告など、様々な場面で認識のずれが生じ、結果として業務の非効率や不信感につながる可能性を示しました。

そして、これらの課題を解決するためには、会社側がルールを明確に伝え、外国人スタッフがそれを理解するまで丁寧に説明する責任があることを強調しました。「伝えたつもり」ではなく、「伝わった」ことを確認する姿勢が重要です。

外国人雇用を成功させるための第一歩は、私たち自身の「当たり前」が、必ずしも全ての人にとっての「当たり前」ではないという認識を持つことです。異文化を持つ人々との協働においては、言葉による明確なコミュニケーションと、誰にでも理解できる明文化されたルールが不可欠となります。

就業規則は、単なる規則の羅列ではなく、異なる文化を持つ人々が共に働くための共通言語となるべきです。明確で理解しやすい就業規則は、外国人スタッフに安心感を与え、彼らがその能力を最大限に発揮できる環境づくりに繋がります。

今回の記事が、外国人雇用の現場における異文化理解の重要性と、ルール明確化の第一歩となるきっかけとなれば幸いです。

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