就業規則を整備しないリスク
口約束の落とし穴 : 口約束は証拠能力を欠く
採用面接や日常の場で、経営者が「昇給は必ずある」「賞与は年2回支給する」と軽く話すことはよくあります。しかし就業規則や雇用契約書に記載されていなければ、その約束は法的拘束力を持たず、紛争時には証拠能力を欠くと判断されます。裁判所では「書面の有無」が最大の基準であり、口頭のやり取りは立証が極めて難しいのです。
従業員との認識ギャップ
経営者が「その場を取り繕っただけ」と思っていても、従業員は「正式な約束」として受け止めます。とくに賃金や賞与は生活に直結するため期待権が生じやすく、結果的に「約束を守らない会社」と認識されてしまいます。このギャップは不満や労使紛争に直結し、労働審判や裁判に発展するリスクを高めます。
典型的な失敗事例
過去の事例では、「休日出勤手当を払う」と言ったものの規則に規定がなく、裁判で全額支払命令を受けたケースがあります。また「試用期間終了後は正社員登用」と面接で伝えていたが、規則に登用基準がなく是正指導を受けた例もあります。「昇給は毎年ある」と発言していたが規定に明記がなく、昇給請求訴訟に発展した例もあります。いずれも「就業規則に明文化していなかった」ことが会社を不利にしたのです。
実務での防止策
口約束によるリスクを防ぐには、条件を必ず書面化することです。就業規則や契約書に記載すれば、紛争時に「規則に基づいている」と説明できます。採用時には契約書と規則をセットで渡し、説明会では「規則に基づいて運用する」と繰り返すことが重要です。また、説明内容を議事録や資料に残すことで後日の証拠となり、経営者を守ることにつながります。
契約更新トラブル
契約書と規則の不一致
有期契約社員やパートの更新時に、契約書と就業規則が食い違うケースは頻繁に見られます。契約書には「賞与なし」と記載されていても、規則に「賞与あり」と書かれていれば、従業員は規則を根拠に請求できます。裁判所は労働者に有利な解釈をする傾向が強く、会社にとっては致命的です。
労働条件通知書の不備
労基法第15条は労働条件を明示する義務を課しています。契約更新時に最新の規則を反映せず通知書を交付すると、虚偽説明と見なされ是正指導の対象となります。小さな不一致でも「会社が信用できない」と評価され、従業員との信頼関係が損なわれます。
契約更新にまつわる典型的トラブル
- 契約書は「週40時間」なのに規則は「週44時間」とされ、残業代請求訴訟に発展
- 規則では「定年60歳」だが契約書で「65歳」と更新し、定年をめぐる紛争に発展
- 助成金の要件を就業規則に反映せず契約更新を重ね、不支給になった
いずれも「契約と規則の整合性を取らなかった」ことが原因です。
実務での対応ポイント
契約更新を安全に進めるには、更新ごとに契約書と規則を必ず照合することが必要です。労働条件通知書には常に最新の規則を反映させるべきです。外国人労働者には母国語の資料を用意し、誤解を防ぐ工夫も欠かせません。さらに、更新時には説明会を開き、署名や記録を残すことで後日の紛争防止につながります。
まとめ
第2章5では「口約束が証拠能力を欠き、会社を危険にさらすリスク」を解説しました。第2章6では「契約更新時の規則と契約書の不一致が裁判や行政指導で不利になる典型例」を紹介しました。
就業規則は「社内の憲法」であり「裁判での証拠」です。安易な発言や不一致を放置せず、必ず文書化と整合性チェックを徹底することが、会社と従業員を守る最も基本的な手段です。
参考:関連条文
労働基準法第15条(労働条件の明示)
「使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して労働条件を明示しなければならない。」
労働基準法第89条(就業規則の作成義務)
「常時10人以上の労働者を使用する使用者は、就業規則を作成し、これを行政官庁に届け出なければならない。」
労働契約法第10条(就業規則の変更による労働契約内容の変更)
「労働条件を不利益に変更する就業規則の変更は、労働者及び労働組合の意見を聴取することその他その変更が合理的なものである場合に限り、労働契約の内容となる。」
参考:判例
判例:みちのく銀行事件(最三小判平成12年9月7日)
賃金規程の不利益変更が合理性を欠き、効力が否定された。
判例:大日本印刷事件(東京高判平成22年9月29日)
労働条件通知書と規則の不一致が争われ、規則を根拠に労働者に有利な解釈がされた。
判例:丸子警報器事件(長野地裁昭和58年6月29日)
有期契約更新をめぐり、就業規則の解釈が争われた。
【次のブログ記事のご案内】
就業規則入門⑧ 採用・契約更新時の整合性チェックと公平な労務管理
👉次回⑧の予定です
📘 採用・更新時の整合性チェック
就業規則と契約書・通知書の不一致は典型的トラブルの原因です。採用時や契約更新ごとに三点照合を行い、口頭説明との齟齬を防ぐことが重要です。
✅ 公平な労務管理の実務ポイント
懲戒、賃金、昇進などで公平性を欠けば、裁判で無効とされる可能性があります。全従業員に同じルールを適用し、透明性を担保することが不可欠です。
📘 外国人雇用の特殊性
外国人労働者には母国語での説明や資料提供も必要です。不理解や誤解が裁判で会社不利に働くことを防ぐため、実務での配慮が求められます。